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授業情報を発信していくブログです

授業の準備。
その時間の確保が大変ではありませんか。

多忙を極める先生方のお役に立てたら、と思いこのブログを起ち上げました。

きっかけは、授業ノートです。

もう要らないものだから、と処分に回すには躊躇(ためら)いを覚えました。
授業実践をとおして得たノウハウがそこにいくつもあるからです。

現場の先生方の参考にすらならない内容かもしれません。
少しでもお読みいただけたら幸いです。

主な内容

 ・授業準備こそ大切 → Jump there    ・初任の頃の話 → Jump there
 ・いつも追われている           ・学校には、授業に関する本がない
 ・明日の授業どうしよう → Jump there  ・本を買いまくる → Jump there
 ・コロナ禍(下)の授業          ・授業づくりの手間は、省けない
 ・私の授業観 → Jump there       ・子ども達からの言葉 → Jump there

授業の準備をする時間がない

授業をすることが教員の本分です。

それなのに、
授業準備に要する時間は、全く保障されていません。
子ども達の学力向上にとって最も大切な事なのに、です。

会議が終わって時計をみれば、もう5時近く。
それから授業の準備に取り掛かれるかと言えば、
さにあらず。

プリントの〇付けやら提出物の点検やら。
教室の片づけ、校務分掌上のあれこれがあります。

肝心の授業の準備はいつするのか?
勤務時間外でするしかありません。

学校に残ってする(残業)か、自宅でするか。
そのどちらか。

そんな多忙な状況下にある先生方の助けになれば・・・
その思いから
授業に関する情報を発信したいと思いました。

授業準備こそ大切

多くの場合、授業の準備は帰宅後(でしょう)。
帰宅すれば、まず「生活」があります。

すでにくたくた。
休みたいのですが、そうはいきません。
授業準備を安易に済ませると・・・大変なことになります。

まず、自分自身が苦しくなります。
教わる子ども達にとっても、よくありません。

そんなことが続けば信頼を損ない、それは自分に返ってきます。

高学年の担当になるとより深い教材研究が必要です。

なにしろ、
教科書を超える知識を有する子どもが何人かいます。

教わる前から、もう知ってますという状態。
そんな彼等を引き付ける工夫も必要です。

特に、歴史(史実)や科学的な原理・知識など
学び直しておかないと対応がおぼつかなくなります。(演技もできますが。)

いつも追われている

土日は、授業の準備にじっくりと取り組めます。
せっかくの休養日ですが、教員は休めません。

いつも、追われている感じ、なのです。
そういう職業なのだ、と言ってしまえばそれまでです。

ふと思います。
授業づくりに参考になるような情報が手軽に得られるのであれば、助かります。

自分がその提供をしてみようと思ったのです。
お役に立つかどうかは分かりませんが。

明日の授業 どうしよう  

楽しく授業をしたい。
子ども達に力がつくように授業をしたい。

「授業」が教員の本分と思うのであるならば、常に頭にある課題だと思います。
だからこそ、気になります。
他の先生たちは、どのように授業をしているのだろうか、と。
そのノウハウを同僚に聞く先生はめったにいません。

手っ取り早いのは、本です。
が、本を読んで研究する気力、失せてます。
何しろ明日も4,5教科あるのです。丁寧にしてたら深夜に及んでしまいます。

明日の授業どうしよう・・・

そうだ! ネットにあるかも。

便利な世の中になりました。
検索すると目的の内容がヒットします。

発問や指示など、どのような流れで授業を進めたらよいのかまで、
様々な情報を得ることができますが、オールマイティではありません。

自分でどーにかしなければなりません。

授業の準備

お手軽はない

指導案が公開されているサイトがあります。

参考にはなるかもしれませんが、使える感じはしてきません。
発問(設問)はありますが、指示が書かれていないからでしょう。

シナリオのようなものだったら授業の様子が浮かびます。
こんな投げかけをしたら、子ども達はこんな反応をした。
そんな授業記録のようなものがネット上であれば・・・と検索してみますが、ないようです。
発信する人がいないからでしょう。

授業は、
目の前の子ども達に寄り添って準備され組み立てられ、展開されるものです。
学習の様子が伝わる記事がUPされたとしても、あくまで参考で一例です。

授業の準備をお手軽に済ますことはできません。
手間や時間をかけねばなりません。
そんな多忙な現状は、手当の引き上げで済む話ではありません。

コロナ禍(下)の授業

昨年度(令和2年)は、世界的規模で大変な年でした。
コロナ禍といわれる教育現場への影響は周知のとおりです。

4月の始業式はなくなり、
学校は2か月間にわたって休校となりました。
前代未聞の出来事でした。

6月の学校再開に当たって市教委からガイドラインが出てきました。
職員はそれに沿って授業を行います。
「理科授業」の部分を読み、目が丸くなりました。

 ・話し合い活動は行わない
 ・理科では実験をしない 

これはつまり、
先生が一方的に話して進める授業をせよ、ということです。

実験は、理科授業の肝です。
それすらもしない。動画で対応せよ、という。

そんな授業、する方も、受ける方もつまらないに決まっています。
そう言えば、
新学習指導要領の全面実施の年でした。
主体的・対話的で深い学び」はどうするのか?

情報交換も控える

話し合いをしないで「対話的な学び」をめざすって、おかしくないか?

文科省のHPを見ましたが、何にも書かれていませんでした。
コロナ禍における授業について、公式の見解が出ていないということです。

「だんまりを決め込んでいる」と私には思えましたが、
未曽有の事態に、軽々に見解など出せません。
感染状況を鑑みて自分で考えて授業をしなさい、ということでしょう。

が、気になります。

音声での情報交換をしちゃいけないガイドラインの下、
先生方はどのように授業をするのでしょうか?

本当に、
講義のような一方的にしゃべりまくる授業をするのでしょうか?

周りの先生たちと話がしたい、相談したい。
そんな気持ちが募ってきます。

週が明けて出勤すると、職員室は一変。
仕切りが出来てました。

話はしないこと
そう語っているかのような光景です。

授業の準備

「会話を控える」は、校内に留まりません。
市内の先生との集まり(研修会)もなくなりました。 
2020年の頃を思い出せば、そんな状況にありました。

拙い取組みではあるが

これまでに行った授業をシナリオとして書いていきます。

所詮、一教員が行った授業の話です。
自分が受け持つ学級に使えるとは思わない、あるべき姿からもはずれている、
そうした感想を持たれる方もいるでしょう。

言うまでもなく授業は、受け持つ子ども達を対象として計画されるものです。
一人一人の教師が力を注ぎ、準備するものです。
しかしながら、その時間がない程多忙な状況です。

記事からは学指が目指している方向とは異なる授業風景が浮かぶと思います。
理科で育てたい能力という観点からは、相当の距離がある授業でしょう。

それでも情報発信をしていこうと思います。
拙い実践でも、踏み台の役割くらいにはなるだろうと思います。

私の授業観

子ども達と楽しい時間を過ごしたい。

そう思って授業を準備していました。これは私自身のためです。
授業者が楽しい時間を創ろうとするならば、子ども達も楽しいはずです。

私の考える「楽しい」とはどういうことか。

  1.子ども達が新しいことと出会うこと
  2.ドキドキ(緊張する場面)があること
  3.時に「笑い」があること
  4.体験(実験・観察)があること、です。

今日の授業は楽しかったな。
先生の授業は面白いなぁ。

そう思ってもらえたらうれしいです。
次もがんばろー、ってなります。
そんな授業をつくっていきたいと思い、取り組んできました。

もう少し具体的に授業イメージを書いてみます。

授業は「ライブのショー」

私の授業のイメージは、スタジオライブショーです。
40年以上授業をしてきて、そんなイメージを持つに至りました。

チャイムを合図(BGM)にしてショーが始まります。
先生は進行役でMC。
大勢集まっているのはショーを見に来た子ども達です。

MCである先生は台本(指導案)に則って、45分間を進めていきます。
面白い話題(学習課題)を提示し、
お客さん(子ども達)に答えさせたり、考えを聞いたりしていきます。
 
お客さん達がするその話に感心したり、逆に突っ込みを入れたり、
冗談を言って笑わせたり、明るく、表情豊かに関わっていきます。

授業の準備

トークばかりではありません。
「じゃ、確かめてみましょうか」などといって、実験や観察になります。

用具類などその準備は、ばっちり。
もたもたすることもないし、お客さんを待たせることもない。
説明を受けたらすぐに取り掛かれます。

イキイキと取り組むお客さん達(子ども達)。
満足して会場(学校)を後にすることでしょう。


2年間、6年生4クラスの理科授業を担当しました。
そのときの理科授業の様子を紹介していきます。

先生方の授業づくりのお役に立てれば、幸いです。

初任の頃の話

40数年前のことです。

たいして準備もせず授業に臨んでいました。
そのような時間を生み出すことができませんでした。

小学校教員の場合、一日にいくつもの教科の授業をします。
道徳や学級指導の他に、7教科も8教科もあるわけです。
そのすべてに渡って十分な準備ができると思いますか?

無理に決まってます。
経験がないから実績などあろうはずもない初任にとっては。

当時を振り返れば、
子ども達にとって、実につまらない授業の日々だったと思います。
何の工夫もないのですから。

授業の準備

指導技術も未熟(というか素人同然)。

授業づくりにおける自らの課題が何なのかも分からない始末。
それでも成り立っている学校現場とはいったい何なんでしょうか。

目の前の仕事をしつつ、教えを請いながら仕事を覚えていくという「On The Job」。
楽しい授業をするなど発想すらできませんでした。

学校には、授業に関する本がない

教師の第一の業務が授業です。
それなのに、職場に授業に関する本が備えられていないのです。

採点ペンをはじめ文房具類はみんな自腹でした。
仕事で使うものを従業員が自費で用意する、そんな会社ってありますか?

着任に当たって支給もされませんでしたし、
必要なものは申し出てください、と言ってもくれませんでした。
だから書籍を揃えるなど、ありえるはずもありません。

とにかく、授業に困っていたのです。
仕事に関する本がないことを知ったときのエピソードです。

給料の支給日でした。
現金で支給され、事務室で受け取ることになっていました。

そこには作り付けの本棚があって、法規集やら紀要のようなもののようです。
すると年配の教員が話しかけてきました。

 何の本を探しているの?
  授業に関する本があれば見たいんですけど。
 ないわよ、そんなものは。

授業の準備

ないわけはありません。あるはずです。
会話を続けます。

授業の準備

日本中で授業が行われてきてますよね、長い間ずーっと。
どのように教えるとよいか、本になっていてもいいと思うし、
そういうのが学校に置いてあるものじゃないんですか。

その年配教師は、にこっとして教え諭してくれました。

   教え方には様々ある
   教育の考え方(理論)の流行もある
   授業は自分で工夫するものだ、と。

授業は、一人一人の教師の営み。
ゼロから作り上げていくものなのでした。

それからほどなくして、ある大きな教育運動が巻き起こっているのを知りました。

本を買いまくる

「教育財産の共有化」をスローガンとした運動です。
すさまじい勢いで全国に広がり出しました。 TOSSランド (toss-online.com)

大きな書店では教育書フェアを開催。
関連の書籍がたくさん並ぶようになりました。
1980年代のことです。

自分だけではなかったのです、授業に困っていたのは。
授業に関する情報が欲しい。
それは多くの教員が思っていたことだったのです。

実践的な教育書を買い求めるようになりました。
セミナーや講演会、講習会に足しげく通うようになりました。

My 本棚:仕事部屋の紹介

教育書、著作集、教育雑誌
話題のビジネス書など

書架はこの部屋だけで5つ。
1~6年生のほとんどの教科の指導法や実践例を
知ることができます。

授業の準備

授業づくりの手間は、省けない

書籍や講習会参加により、様々な実践を知りました。
それらに刺激を受けながら「自分の授業」をつくってきました。

気が付けば、退職。
授業力向上の取り組みは、道半ばにして区切りを迎えました。

振り返れば、誇れるものは何もありません。
残ったものが授業ノートです。

その公開が現場の先生方のお役に立つ情報にはならないかもしれません。
実態に合ってこそ授業は成り立つからです。

ヒントにはなりえても、授業づくりの手間は省けはしません。
多忙感から解放される、ということにもならないでしょう。

指導事項に関して、教師は広く深い知識を有していなければなりません。
教材研究は不要、なんてことにはなりません。

提示するものや教具の準備も必要です。
予備実験、安全への配慮、実験・観察後の後片付けなどすることはたくさん。
授業にお手軽は、ありません。

2022年から理科専科が配置されるそうです。
働き方改革の一環でしょう。ようやく教育行政が動いた感じです。
ことほど左様に、理科授業が先生方の教育業務に負荷をかけていたということです。

逆に言えば、このブログ、今後はあまり意味を持ち得なくなるかもしれません。

子ども達からの言葉

教職最後の2年間は6年生の理科授業の担当でした。
子ども達がこんな言葉を贈ってくれました。 sotu

・先生はいつも楽しい授業をしてくれた。
 次、いつ理科の授業があるか待ち遠しかった。

・理科がすごく好きな教科になった。

・話だけでなく、
 絵や資料、実物を見せて分かりやすくしてくれていた。

・面白いだけじゃなく、
 理科の力が身につくというのがすごいところです。

・ぜひ、来年の6年生にも授業をしてあげてください。

お世話になった人に贈る言葉です。
マイナスなことは書かないものですから、割り引いて受け止めなくてはなりません。
が、うれしい限りです。

授業を終えて、その教室を後にするとき、
今日の授業は面白かったな・・・
そんなつぶやきが聞けたら「また、がんばろー」って元気になれます。