「ごんぎつね」を巡る旅 

タイトル下

「ごんぎつね」を巡る旅 をしてみました。

「ごんぎつね」とは、小学校の国語教科書に載っている物語教材です。
この文学作品の背景を知ろうと私も現地に行ってみたのです。
名づけて「ごんぎつね」を巡る旅です。

このことを契機として私の旅行は、教科書に出てくる地を訪ねるものになりました。

記事の内容
 1.「赤い井戸」とは貧しさの象徴
 2.南吉を知る人との出会い
 3.資料室の展示物
 4.舞台の地を歩く
 5.南吉について
 6.お勧め 教科書を巡る旅

「赤い いど」とは?

「ごんぎつね」という物語を読んでいると、ハテナと思う文があります。

  兵十が赤い いどの所で麦を といでいました。

ハテナと思いましたか?
赤い井戸とは、何か引っかかりませんでしたか?

この教材で授業する教員であっても、多くは気にとめないようです。
子ども達も読み飛ばしています。

初め、神社の鳥居のような井戸をイメージしました。
赤い、とあるからです。
が、そんな井戸はお目にかかったことはありませんし、
第一、赤くする意味が分かりませんし、実際にあるとも思えません。

結局、「赤い井戸」が何なのか分からないまま授業をし、指導を終えてしまいました。
授業で必ずおさえなければならないというわけでもありません。
そう自らに言い訳しつつ。

私事旅行を計画しているとき、ふと、思い付きました。
南吉の生家に行けば、「赤い井戸」の正体が分かるかもしれません。
そんな旅の仕方は案外、おもしろいものになりそうです。

というわけで、愛知県半田市に行ってみました。

生家の井戸は「赤く」なかった

「ごんぎつね」を巡る旅をしました。教科書に出てくる地を実際に自分の目で見てくれば、授業に使えます。教員におすすめの旅のスタイルです。

南吉の生家が残されていました。
道路に面し、お店のようなつくりでした。

案内板が設置してありました。
やはり、思ったとおりお店で、雑貨を売っていた畳屋だったことが分かりました。

南吉は4歳の時、母親に死なれてしまいます。
8歳で養子に出され、新美姓になります。

寂しくつらい思いをしたことでしょう。
幼いころの南吉と「ひとりぼっちのごん」がダブってきました。

「ごんぎつね」を巡る旅をしました。教科書に出てくる地を実際に自分の目で見てくれば、授業に使えます。教員におすすめの旅のスタイルです。

建物の裏に回ると井戸がありました。
赤くありません。

説明によると、
「赤い」というのは、井戸筒の色のことでした。

常滑焼の素焼きしたもので
「赤物(あかもの)」というそうです。
釉薬を塗ったものに比べ安価な井戸になります。

つまり、作者が「赤いいど」と書いたのは、
兵十が貧しい暮らしをしている、ことを表していたのでした。

南吉を知る人との出会い

ネットが普及した今、家に居ながらにして様々なことを知ることができます。
その意味で便利になった世の中ではありますが、
実際に現地を訪れるからこそ得られるものがあります。

以下は、今から30年前の旅行中のエピソードです。

生家からほど近いところに岩滑コミュニティセンターがあり、
そこに「南吉資料室」があることがわかりました。

行き方を確かめていると選挙カーがやってきました。
私たちの前で停まると、立候補者と思われる70代くらいの男性が
ウィンドウを下げて声をかけてきました。
道に迷っていると思ったのでしょう。

その方は「南吉資料室」への行き方を教えると、
自分は南吉と友達だったんだよ、と言いながら手を振り、街宣活動に戻っていかれました。

手渡された名刺を見ると肩書に「南吉童話の心 実践の人」と書かれていました。
南吉についてどんな活動をされているのでしょうか。

南吉は1913年(大正2年)生まれです。
存命なら、この方と同じ70代だったでしょう。
旅行に行くと、こんなことがあるのですね。

資料室の展示物

岩滑コミセンの2階に「南吉資料室」はありました。

※平成6年、新見南吉資料館となりました。
 新美南吉記念館公式ホームページ http://www.nankichi.gr.jp/Sonohoka/sitepolicy.html

はりきり網(ジオラマ)

「はりきり網」は、
この土地の言い方だそうです。

教科書の欄外に図が描かれていますが、
掲載の理由が分かりました。

展示物のポンプ式井戸は、この物語の時代にはない物です。
手押しポンプの普及は昭和10年代だそう。

井戸筒に「赤もの」を使っていることが分かります。

キツネの親子(剥製)

「てぶくろをかいに」も
かつて教科書に載っていました。

漁に使う道具

この地に、川魚を獲る暮らしがあったということです。
「ごんぎつね」 の舞台である川や野山を見たくなりました。

舞台の地を歩く 

資料室の見学を終え、「ごんぎつね」の舞台となった周辺を歩いてみました。

「ごんぎつね」を巡る旅をしました。教科書に出てくる地を実際に自分の目で見てくれば、授業に使えます。教員におすすめの旅のスタイルです。

矢勝川です。
流量も水深もさほどありませんでしたが、
雨が続くと護岸が必要な状態になるのでしょう。

この川に兵十がはりきり網を仕掛けたのですね。
眺めているうちに
物語で描かれている風景が重なってきました。

いたずらをして怒鳴られたごんが逃げていく、
そんな様が浮かんできました。

常福院。
城主中山勝時が建立したと伝えられるお寺。

物語冒頭に伝承の形で登場する「中山さま」は創作ではなく、
実在したようです。

南吉について

資料室に印刷物が置かれていました。
南吉について書かれています。旅行を終え、読んでみました。

「ごんぎつね」を巡る旅をしました。教科書に出てくる地を実際に自分の目で見てくれば、授業に使えます。教員におすすめの旅のスタイルです。

18歳 母校の代用教員。童謡童話を投稿。
   子ども達に自分の作った童話「ごん狐」を話して
   聞かせたそう。
19歳(昭和6年)東京外国語学校入学。
   「赤い鳥」に「ごん狐」が載ります。 
24歳 高等小学校の代用教員
   自ら作った物語で授業をしたようです。
25歳 安城高等女学校教諭
29歳(昭和18年)死去

半田市環境経済部のリーフレット(1989年)による

「ごんぎつね」 を巡る旅をすることで、
南吉について知り、よりよく作品の世界に身をおけるようになったと思いました。
このことから、以降、教科書に登場する地を訪れる旅行をするようになりました。

お勧め! 教科書を巡る旅

年に1度か2度、決まって旅行に出かけていました。
その行き先は、教科書に出てくる地です。

例えば、
6年社会で出てくる登呂遺跡(静岡県)。
4年生の国語に掲載されている川崎洋の詩「屋久島の杉の木」の屋久島(鹿児島県)。
「輪中」を見たくて、近くの「関ケ原」も見ようと岐阜県を訪れたこともあります。

このような旅をするようになったきっかけがあります。

年度も押し詰まったある日のこと。
職員室の後ろで数人が集まって旅行の話をしていました。

「ごんぎつね」の作者、新見南吉の生まれた地を訪ねるようです。
作品の背景を知り、指導に役立てようというのでしょう。
勤務校が国語の研究指定を受けていましたので、さもありなんです。

私費での旅行らしく、
参加するのは研究推進委員の中の何人か。
話は職員全体に広げず、
私に声はかかりませんでしたが、耳に入ってしまいました。

そういう旅行の仕方もいいもんだなぁ、とその時、思いました。
そして、以来、私の旅行先は教科書に出てくる地になりました。

「ごんぎつね」を巡る旅をしました。教科書に出てくる地を実際に自分の目で見てくれば、授業に使えます。教員におすすめの旅のスタイルです。

どんなところなのか、自分の目で見てくる。
そうすれば、よりよく教材が理解され授業に生かせます。
写真を見せながら具体的に話をることができます。

旅行も教材研究の一つと思うようになりました。

教科書を巡る旅。
現職の先生方にお勧めします。

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