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教務の仕事  それは驚務、そして恐夢!      

振り返れば、働きすぎでした。

校長さん曰く、
教務は学校のエンジン
教務が学校を回していくのだ、と。

その言葉を受け止め、精一杯務めました。
子ども達の力を伸ばして行こう、地域やPTAとの連携もはかって行こうと奮闘しました。

激務だった、
と言っていいと思います。
身体を壊したくらいですから。

学校での働き方改革が進められている現在は、どうでしょうか。
教務さんのお仕事量は、相変わらずでしょうか。

この記事は、ずいぶん前のことを元にしています。
現場にとって少しでも役に立つようなことがあれば幸いに思います。

内容

はじめに(教務になる数日前の話)

1.教務は「挟務(きょうむ)」    
2.「驚務(きょうむ)」の初日
3.「恐夢(きょうむ」だ、これは!  

はじめに  

3月の終わりごろだった。
校長室に呼ばれた。転出の希望を出していたから、その話だろう。

次の赴任先はどこだろうか、そして何年生を教えるのだろうか?
できれば、その準備を始めておきたい。

が、そんな話ではなかった。

あなたの赴任先は、〇〇小学校です。
担任はしません、級外職員となります。・・・教務です。      

え、教務

学級を持たないのか。
なんだか、拍子抜けした感じ。

それにしても、
赴任先の学校のことを知らないでいきなり教務など勤まるものなのだろうか?
そもそも教務とは一体どういう仕事をするのだろうか。

自分の知っている教務は・・・

職員室にいて、
学校職員と向かい合うようにして座っている3人の中の一人だ。
校長、教頭に次いで学校運営にあたっていて、年配。

学級は持ってはおらず、授業は習字の時間くらいで少ないのだが、
いつも遅くまで残っていて、自席で黙々と仕事をしている。

始業式や、卒業式などの学校行事では、進行役だ。

働きすぎ

職員会議で、月行事を読み上げてる姿も思い出されてくる。
一読しておいてください、と言えば会議の時間短縮になるだろうに、と毎回思っていたものだ。

その教務という仕事に就くのだという。
数日後、校長面接と引継ぎがあるから、詳しく分かるだろう。

1.教務は「挟務」 

その日のM山校長は、忙しそうだった。

お茶を出されることもなく、(そのような接待を望んでいたわけではないが)
数分もしないで顔合わせが終了してしまいそうな空気になったから、あわててお尋ねしてみた。

教務とは、どういう仕事ですか?

するとM山校長、チョークを手に取ると
校長室の壁にかかっている小さな行事黒板の隅にこう書いた。 挟 務

教務は、挟(はさ)まれながらする仕事です。
管理職と先生方の間に入って調整する仕事です。                               

調整などということはやったことがない。
そもそも、
調整をしなくてはいけない場面とは、考え方の相違・対立がある場合ではないのか。
双方に折り合いをつけさせるということだ。
そんなことができるのか、自分。

やっかいな役回りが回ってきたものだ。
が、
振り返ってみれば、その学校に赴任して以来7年間、
管理職と先生方に挟まれた思いをしたことは1度もなかった。
「狭務」になったことはなかった。
たまたまだった、かもしれない。

2.「驚務」の初日 

その日、校長面接の後、引継ぎもあった。
これが長いこと長いこと。
2時間もやっていた。

うすら寒い放送室だった。
お茶も出されなかった。(飲みたかったわけではない。)

異動することになったその教務さんは、親切心から実に丁寧に説明をしてくれるのだが、
半分も頭に入って行かない。

5月にはPTAの常置委員会がありますよ。     

覚悟をして臨む会議らしい。
だが、そんなことを言われても何のことが分からない。常置委員会とはなんだ?

後に知ることとなるが、
勤務日ではないはずの土曜日にいつもと同じように朝から出勤し
「PTA書記」として出なてくはならない会議のことだった。

取りあえずは、着任する4月1日に開かれる職員会議が教務としての初仕事になる。
案件のほとんどが教務の提案なのだ。
取りあえず、この日を乗り切れればいい。

資料は全部用意しておく、という。
そりゃそーだろう。
他所(よそ)の学校の人間が赴任の前にすることなどあるわけがない。


4月1日になった。
晴れやかな気持ちで着任。

職員会議は、質問も意見も何もなくするすると進行した。
お雛様のように座っていればよかった。

退勤時刻になりつつある5時ちょっと前だった。
はい、お願いしまーす。
顔を上げると目の前に教頭さんが立っていて、
両手で抱えた未決済の文書を机に置いたのだった。

行政文書等の入った箱が3つ。

その高さは座っている自分の顎くらいまであり、30cmは超えているだろう。
何通あるのだろうか、とんでもない量である。

その書類にはすでに校長、教頭のハンコが押してあって、
目を通したら押印し担当の職員へ渡すのだ、という。

行き先が決まっている文書は、すぐにも該当の職員に渡さなくてはいけない。
これで、5時過ぎには帰れそうだ、という話はなくなった。  

働きすぎ

一つひとつに目を通し、
誰が、いつ、どこへ出張するのか、自分の教務手帳にメモをしていく。

その作業をしつつ思う。

どうして、教頭さんはこんな退勤時になってから仕事を回してくるのだろうか。

もう少し、
早目に持ってきてくれたら帰れたのに、と思うのだがこれは当然のことだった。

4月1日は学校にとって年度の始まり。
校内の分掌はこの日の職員会議で決まる。だから、それ以前には文書の処理のしようがないのだ。

教頭さんは県や市から届いた文書に目を通し、校内分掌にもとづいて担当者名を書き込む。
校長へ持って行って決済印をもらい、教務に回してこの時刻になった、というわけだ。

ところで、
学校に届けられる物というのは、沢山ある。
県や市からの行政文書だけではない。

・給食の献立表など児童への配布物、及びその「送り状」
・市内各校からの「学校だより」・「PTA広報祇」
・教育関連のイベントやコンクールのお知らせ
・地域の団体が発行する「活動だより」
・授業に使えるかもしれない冊子の見本、献本
・教材教具のチラシ
・横断旗、それを入れる缶(すごい量です)
・新1年生に配布する「交通安全ワッペン」「ランドセルカバー」「防犯ブザー」

行政文書で重要なのが、転出入に関する書類だ。
在籍数は学校基本調査の元であり、児童数は学級編成にかかわってくる。
その事務を教務がする。

ハンコを押す以上、
「見ました」という証拠になるから丁寧に全部見ていく。
読んでいくし、記録する。

すべて押印して、担当職員の机上に置いていくと午後9時を回っていた。
書類の山を崩すのに4時間かかった。

働きすぎ

教務とはこういうことをする仕事だったのだ、
驚きながら務めた初日だった。
だから、「キョウム」という音に合わせて 驚務 という漢字で表してみた。

働きすぎ

職員室から見える校庭は、
すっかり夜になっていて、真っ暗だ。

子ども達はもう床に就いている時刻だ。

校長と教頭のお二人は、
新米の教務に付き合っていたわけではなく、依然帰宅する気配もなく、
相談したりなんだりと何かの仕事をされていた。

ちなみに、
未決済の文書を一つひとつバカ丁寧に見ていくことはしなくなった。
そんなことも初めは分からなかった。

3.深夜に及んで「恐夢(きょうむ)」        

勤務校は、開校100周年を迎えることになっていた。

その話し合いが夜の7時からある、という。

集まってくるのは20人くらいらしい。
現PTA会長と歴代の会長さん方で
学校側からは校長、教頭。それに教務も出るのだという。

教員の働き方改革

日も暮れて、6時ごろだ。
教頭さんに声をかけられ一緒に会議室の机をこの字型にしてセッティングをする。
慣れない湯茶の用意を30人分揃え、運んでおく。

学校の先生方は、
これから来客があるらしいそのばたばたしている様を目にしてもどこ吹く風と
帰宅の途についていく。職員室はがらんとなった。

7時を回って会議が始まる。

記念式典と事業を行うことの確認をして午後の9時。
具体的なアイデアを持ち寄ることにして10時過ぎに散会となった。
次回はひと月後だ。

さあ、帰れるぞ
と思いきや、さにあらず。
校長さんから校内の戸締りの確認を頼まれる。

校内をぐるりと回ってくると11時になっていた。
児童数900名で4階建ての本校は、1巡するのに30分はかかるのだった。

残って話をしていたP会長さんもお帰りになって、
学校職員も帰宅と相成った。午前0時になろうとしている。

終電はあるのかな?
夕飯はどうしよう。
6時間後には、またここにいるなぁ、と思いつつ駅へ急ぐ。

教員の働き方改革

深夜に及んだこの日の教務の仕事。

現実に起きたこととはとても思えない。
恐ろしい夢だったと思うようにしよう。教務の見た 恐夢 としておこう。

その後、何度も見ることになって、
当たり前の現実として受け入れてしまったのであった。

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