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「わらぐつの中の~」5年国語 音読の授業(参観記)

初任者研修の指導資料として作成したものをリメイクし、発信しています。
現場の先生方の、授業づくり等の参考になりましたら、幸いです。

※平成19年(2007年)に書いたものを元に記事にしています。

記事の内容

1.国語名人の授業がある、と聞いて・・・
2.会場校は、全校で音読に取組んでいた
3.読むことから始まった (教材:「わらぐつの中の神様」) 
4.読解では必ず正解がある 
5.まずは、文章をしっかりと読めること 

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1.国語名人の授業がある、と聞いて・・・


さる小学校で校内研修会があることを知った。
外部からの参加もOK、という。

国語授業の名人と言われるYN先生をお呼びし、子ども達に授業をするということで、
近隣学校に勉強の機会を投げかけてくれているわけだ。これは行かずばなるまい。

研修会の参加を申し出ると、出張扱いとなった。
ならば、この日学んだことは自校の先生方とも共有すべきだ。
そう思い、職員向けの「授業通信」を作成、配布した。

ところで、YN先生をご存じだろうか。

ご迷惑がかかるといけないので、ここでは「YN先生」としておくが、
授業や講演をしに全国に行かれ、著作物の数も多いので、
知らない、本も読んだことがないという方は、あまりいらっしゃらないのではないか。

実践に裏付けられた明快な主張。自ら硬派の教育と称する授業観。

その書は、赤線を引きながら一気に読んでしまうものばかりだ。

音読の授業

2.会場校は、全校で音読に取組んでいた

研修会の会場は、研究主任のクラスだ。

5校時が始まる前からスタンバイ。子ども達は音読をして講師の先生を待っている。
それは、それは、上質の合唱を聞いているかのようだ。

机の上にはA4横サイズの冊子。
表紙には「音読ファイル 5年」とあった。

全ての学年で、詩文の音読に取り組んでいることが分かる。

子ども達は「春望」「偶成」「お経」を次々に音読していった。
張りがあり、明るい声で聞いていて気持ちがいい。
どの子どもも諳んじているふうで、テキストを見ていない。
(右のイラストとは違う)

音読の授業

講師のYN先生は、そこにふらりと現れ、こんにちはと挨拶をするとすぐに授業を始められた。

3.読むことから始まった (教材は「わらぐつの中の神様」)

氏の授業について伝えられるか自信がない。
紙幅にも限りがある。
私の解釈という「フィルター」がかかっているので、そこはお断りしておきたい。

よーし、読んでみよう。最高の読み方をするんだぞ。           

YN先生、お決まりの「投げかけ」である。
最前列の一人を指名。
起立させて数行を読ませた後、何と言ったか。

やりなおし。声が小さい。

やがて、おみつさんは~」  このくらいの声で読むんだよ。             

声量を注意し、範を示す。
再び読み始める女の子。

まだ、小さい。 無理をするんだよ。勉強というのは。                      

ひとりの子どもの指導場面をとおして、教室にいる全員に学習に対する心構えを説いている。
授業とは、力をつける時間なのだ。
参観している我々全員にはそう形を変えて伝わってくる。

教室の空気がぴんとしてきた。

3度目を精一杯の声で読んだ子をよくがんばったとほめ、続けて2人に読ませた。
そして、「 」の部分を会話文と言い、それ以外を地の文と言う学習用語を教える。

会話文地の文は続けて読んじゃいけないの。 間(ま)を入れる。 こうやって読むんだ。   

示範したあと、別な子どもに読ませ、
教わったことはできるようにならないとね、なかなかいい! とほめる。

3.AかBで問い、話し合わせる

発問は、言葉が短い。必ず、指示とセットだ。

大きく張って読むのは、会話文(A)か地の文(B)か。
AかB、ノートに書く!                         


挙手をさせるとA派とB派は半々。この後をどう授業されたか。

わけを言える人! (6人が挙手)    起立! (6人が立つ) ぼくは、Aを大きく張って読みます。わけは~ と言ってみよう。                                          


子ども達は、たどたどしい。
その話形には慣れていない。鍛えられていないようだ。

6人が発言を終えると、「反論!」と一声。
反論を言え、というのである。

4人の発言を先生はしゃがんで聞いている。
なぜ、しゃがんだのか。発言者に注目させたいからか。

私がやってみる。 初めにA、次にB(を張って読むよ)。
(範読)
どっちが自然だったか、ノートに書く!                                    

ノートに書くよう指示するのは、ひとり一人に考えを持たせるためだ。

誰一人Bに挙手しない。
子ども達の発言を尊重しながらも、このようにして基本はAの読みであることを押さえた。
会話文は、声を張って読むようにするのが基本であることを指導された。

4.必ず正解がある

授業は、読解に移った。
通りかかった若い大工さんが、おみつさんの作った不格好なわらぐつを買う場面である。

おみつさんは、なぜ赤くなったのか、ノートにズバリと書きなさい。                             

先生は、教室を回りながら、数人の子どもの耳たぶをもみもみしている。
これも、氏のあまりにも有名な手法だ。

わらぐつの中の神様

耳組起立! (耳をさわられた者は立ちなさい、という意味)

上野君から(ノートに書いた事を)読んでもらうから、
みんなはノートに「上野」と書いて。        ※児童名は仮名 

<発表>

ハイ、正しかったら○と書きなさい。 

耳組の4人が発言した後、子ども達がどう聞いたのか判定の結果に手を挙げさせる。

YN先生:全部×の人? (2人挙手。ふーんとうなづく。)

     全部○の人?  (1人挙手) ・・・それは間違いだ。 よく読めたことにならない! 

野口先生の国語は、必ず「正解」がある。発言すれば、何でもOKの授業ではない。

「わらぐつを差し出すことに恥ずかしくなったから」に×を付けた人?      

そのわけが言える人は、手を握る(グーにする)!   
グーの人、起立。                                     

この場面でもすぐれた指導技術が窺える。

赤くなったのは恥ずかしかったからだ。では、
なぜ恥ずかしくなったのか。そこまで書いていないとダメなんだよ。      

と話し、正解を説く。

この後、
「おずおずと」「まじまじ」というのは畳語ということ、
「けどー」の棒はダッシュということ、
「うれしくてうれしくて」は反復表現ということ、
こういう言葉を覚えておくといいと言い、国語における学習用語を教えていた。

5.まずは、文章をしっかりと読めること

国語の授業では音読を大切にする。
教材文をしっかりと読めるようにする。これが一番目。

読解の指導では「なぜか」を問う。
(思い起こすと、その昔なぜを聞いてはならないという指導があった。)

「なぜ」しか子ども達に考えさせる問いはない。
思考の原点である、と先生はおっしゃる。

学校の役割は、学力を形成すること。向上的変容をはかるところである。
そんな思いを強くして辞した。

わらぐつの中の神様


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