振り返れば、働きすぎでした。
激務だった、と言っていいと思います。体を壊したくらいですから。
先日、
教務をされていた方が長時間勤務の末に亡くなり、その責任を問う裁判についての報道がありました。
教務としての業務に加え、二つの学級の担任代行に入っていたそうですから、
彼が置かれた勤務状況には息を飲むほど驚きました。
「命削る異常な状態」過労死した教員の夫 教員の妻が語る過酷な現場 [福岡県]:朝日新聞デジタル (asahi.com)
そうせざるを得ない学校の事情があったのだとは思いますが、
その過酷さは度を越しています。
6年生と4年生の担任の代行ですよ。
有り得ません。
「学級担任」は、片手間にできるようなものではありません。
教務という仕事の中身や大変さは、
同じ学校に勤めていても、よく分からないものです。
その心の内を教務本人が口にすることは、まずありません。
周りから気にかけられることもありません。
心配するのは、家族くらいなものでしょう。
恐ろしいのは、
同様なことがどこの学校でも起こりうるという事です。
それを避ける術(すべ)がなかなか見い出しえないという事です。
学校での働き方改革が進められている現在は、どうでしょうか。
教務さんのお仕事量は、相変わらずでしょうか。
1.教務は授業をする
(1)授業が1丁目1番地 (2)テストの採点も (3)初任者の担当
2.仕事量多すぎて「叫務」
(1)出張の穴埋め (2)年休・病休への対応要員 (3)プールの監視も
1.教務は授業をする
(1)授業は1丁目1番地
教務の仕事は大まかに言って3つある。
その1つは授業だ。
校長、教頭との一番の違いといってもいい。
教務は授業を持っている。
自分の場合は、
3年生の算数授業を持つことになっていた。毎日3コマを5日間行って週15時間だ。
この持ち時数、
市内の教務の中では2番目に多いらしい。
少ない人は、週8コマだという。
自分の半分ではないか。なんなんだ、その扱いの違いは。
校長さんからはT.T.(Team Teaching)のT1をしてほしい、
と言われていた。
T1は、授業を進める役割のこと。
教材研究と授業の準備が必要だ。
担任はT2。
困惑している子どもに臨機に対応すればいい。
授業の準備は何もしなくてよい。
要するに、
担任の負担を軽くするという措置だったようだ。
T.T.による授業の形はいくつかある。
子ども達の実態をみて工夫していくということだったが、
話し合いもなく1年間そのままだった。そのようになった理由は分かる。
担任と交代で授業をすると様々不都合なことが生じるのだ。
それをクリアすることはできたはずだが、ともかく先生達は忙しいのだった。
言うまでもないが、T1を務めるのは簡単なことではない。
T2の担任からは授業(の上手い下手)を見られているし、
それより何より、
分かりやすく楽しい授業をしたいと思うから時間をかけて準備をする。
その教材研究と授業の準備に取り掛かれるのは、夜の7時ごろ。
帰宅は確実に午後の9時を回る。
こんな勤め方がしばらく続いて、ある日、身体に異常が起こる。
動悸・息切れというヤツだ。
その言葉は知っていたが、我が身に起こってよく分かった。
不整脈(心房細動)が出るようになっていた。
脳梗塞を引き起こす心臓疾患であることを後に知った。
数年後、
意を決して、アブレーション手術を受けることになる。
(2)テストの採点
単元が終わるとテスト(市販)をするのだが、
担任達は、クラスでやらせるので授業を進めてほしいという。
放課後になって、それを持って職員室に下りて来て採点をお願いします、と言う。
これが断れない。
テストは、自分の行った授業の評価でもあるからだ。
他人任せではいけない。
だが、待て。
T2だって授業に関わっているんだから、担任が採点したっていいはずだ。
が、請け負ってしまうのだった。
担任でやってよ、とは言えない人の良さ。
このテストの採点というヤツは、結構な時間を要する。
子どもが40人くらいいれば1時間はかかる。
丸を付けるだけではなく、
コメントを書いてあげたりもするからだ。
付け間違いもチェックする。
点数を計算ソフトに打ち込む作業もある。
こんな日は、夜の10時を軽く回ってしまう。
(3)初任者の担当でもある
教務は、初任者研修の担当になっている。
いわゆる「初任研」というものだが、初めの頃はかなり過酷な研修が課されていた。
授業研究を週1回するよう定められていた。
授業を見てもらって指導を受けるのだ。
指導案は簡単なものでいいとされていたが、できるだけ準備をして臨むことになる。
それが毎週だから相当きつかったはずだ。
そのうちに辞退者が相次いで出て、問題になったらしい。
目を輝かせて教職に就いたものの、これではやってらんない、となったわけだ。
だからか、この研修のしばりは徐々に緩くなっていった。
初任者を直接指導するのは、拠点校指導員という方だ。
教務は、そのマネジメントをするのだが、まるっきりお任せというわけにもいかない。
見守らなければいけない。
時間を見つけては、ちょくちょくクラスを見に行っていた。
その初任者が躓いた。
学級が荒れたのだった。
毎週金曜日、
初任者支援会議というのがもたれるようになった。
校長の発案だ。
初任者の困りごとを聞いて、関係者でサポートをしていこうという。
趣旨は結構だが、午後の5時半からの会議。
勤務時間もあったものではない。
早く解放して家へ帰してやればいいのに、
午後の7時を回ってもあーでもない、こーでもないと終わらない。
この会議そのものが初任者を苦しめているようだった。
その結末だが・・・
教務に副担任が任命され、授業を何コマか受け持つことになった。
結局、そうなる。
自分の授業時間は週17コマになった。
その授業の準備をしなくてはならなくなった。
プラスの分、仕事が減るわけではなく、単純に上乗せされてしまった。
副担任だから、授業をするだけでなく
給食の配膳の様子を見に行ったり、掃除を一緒にやったりもある。
学級のルールが崩壊しているので学校生活の様々が回らないのだった。
副担任が入ることは、担任にとっては逆に作用した。
子ども達の授業に取り組む様子がまるで違う。
「わたしのクラスではないみたいです。」と言っていたが、
初任者本人としては、いたたまれない思いだったであろう。
年が明け、しばらくして体調を崩し療休に入ってしまった。
その対応要員として任命されるのは、何のことはない教務の自分だ。
忙しさはマックスになった。
今日だけなんとか務めればよしとしよう。
そう思う事にした。
ということから、教務は、今日務 だった。
2.仕事量多すぎて「叫務」
教務は補填に入る。
担任が出張で不在となれば、その穴を埋めるのが教務だ。
教務が学校を回す、とはまさにこのことだ。
(1)出張の穴埋め
担任が出張する場合、大抵は課題が用意されている。
だから、その監督をしていればいいだけのことのようだが、自分の仕事はできない。
聞き分けのいい高学年ならさほど手はかからない。
自浄力も見せてくれる。注意し合うのである。さすが〇〇学級だ、と感心することがある。
が、そんな「出来た」学級は少ない。
稀(まれ)と言ってもいい。
低中学年の子ども達にとっては、
自習の45分間を黙って過ごすというのは土台無理というものだ。
彼等は、生理的に沈黙に耐えられないように出来ている。
静かにしなさい!
などと声を荒げて叱るのはサイテーだ。
指導力のない証左となる。
ここは腕の見せ所。手を変え品を変えて対応する。
だから、
そのクラスに仕事を持って行ってもできはしない。
もう一つ、おまけに言うと
そのクラスと好ましい関係を築いておくことをする。
楽しいことをしたり、頑張りを褒めたりもする。
監督をするだけではないのだ。
ずいぶんと補填をしてきた。
お陰で、
自習の監督に関しては自慢できるくらいのノウハウを身につけることができた。
残念なのは、学校から1歩出ればそれは何の役にも立ちはしないことだ。
補填は、ほぼ毎日のようにある。
だから、いろんなクラスに行くことになる。
クラスの様子が分かっていいわ、
なんてことを教頭さんが言いっていたが、それは管理職の立場からのことで、
教務としては全くそうは思わない。
子ども達の実態は知らないよりはましだが
それより、その分の時間をくれと思う。
かかえている仕事を一つでもやりたい、
そう思いながら補填のクラスへ向かうのだが、そんな教務の背中を見ている人は誰もいない。
(2)年休・病休への対応要員
担任が具合を悪くして学校を休むと、覚悟をして補填に入らねばならない
まず、補填計画を立てる。
学年の先生と相談をして、その日の時間割をつくるのである。
年休をとる担任が、電話で指示を伝えてくる。
〇〇をさせておいてください、という風に。
家で身体を休めていても、教室のことが気になるのである。
補填は、
数名の職員に入ってもらうこともあるが、主となるのは教務だ。
給食も掃除の時間も子ども達と一緒に過ごす一日となる。
朝の8時を回ったころ、職員室に電話が鳴ると思わず身構えてしまう。
担任が休みとなれば、その日にやろうとしていた仕事が完全に吹っ飛ぶからだ。
療休、病休となると、もっと大変だ。
麻疹(はしか)になりました、
などと連絡がくれば、担任は2週間近くは出てこられない。
その間、担任をするよう校長さんから指示が入る。
このような役回りをする教務と言う仕事は、
どの学年も担任をして経験を積んでないと務まらない。
そう思うが、
補填は教務本来の仕事なのだろうか、とも思ってしまう。
自由に動ける教員が必要だ。
市教委は元教員に登録してもらい、バンクを作っておけばいい。
予算の枠があって簡単にはいかないのかもしれない。
依頼を受ける側も薄給ではまず腰が上がらない。
授業を20数コマをやってなおかつ学校生活まで丸投げされてはやってらんない。
特定教科の授業だけならいいかも。
話を戻す。
補填にとられる時間はかくも多い。
教務としての仕事をする時間をくれー。
そう心の中で叫びながら務めるそんな状況は、「教務」ではなく「叫務」という字になる。
(3)プールの監視もある
水泳指導の監視という仕事がある。
これは時間をとられるだけでなく、エネルギーも消耗する。
6月の少々肌寒い日でも、「実施」となれば子ども達は大喜びだ。
わーい。
遠くの教室から歓声が上がる。
それが職員室に届き、プール監視という仕事が発生したことが分かる。
担任が下りて来て、実施する旨の報告が入る。
自分の仕事がパタリとストップする。
2コマ分の時間が吹っ飛ぶ。
ホントにこの天気で入るの?
とその判断にぶつぶつ疑問を呈しながら着替えに行く。
監視役も水着にならないといけない。
プールの監視はつらい。
ぎらぎらとした水面をずっと見続けなければならない。
すぐに眼がおかしくなってくる。
サングラスは職業柄アウトっぽいと感じつつかけてみるのだが、
思ったほどには効果はない。
蒸し暑い。
じっとしているから終いに頭がぼーっとしてくる。
深呼吸したり、膝をつねったりする。
水の事故は命に直結するから責任重大と、頑張る。
監視台から水泳の授業を見ていて辛くなってくる、というのもある。
何なんだ、この指導は。
教材研究をして水泳の授業に臨んでいる、とはとても思えない光景。
ちょっとやると「自由時間」にしてしまうのがその証拠だ。
子どもに阿(おもね)るようなその軟弱さにもため息が出てしまう。
泳ぎ方を指導できる教員は、まずいない と言わざるを得ない。
採用試験で25mを泳ぐという課題をクリアしてきているのだろうけど、
指導法を教職課程で習っていないのだろう。(この節は、実技試験もないそうだ。大丈夫か。)
学校の授業力向上の推進役である教務としては、これをどうにかしないといけない。
もっとも、
この水泳授業に関しては、しばらく前から取り組み方が変わってきている。
学校のプールを使わなくなっているのだ。
近くの民間施設や公営プールで行うようになっている。
そこにはインストラクターがいて、監視もついている。
丸投げしちゃおう。
担任は、補助的な立場でいい。
この変化は、とっても喜ばしいことだ。
プール掃除をしなくていいし、水質管理をしなくてよくなった。
季節を問わず指導できるし、子ども達は泳げるようになる。
教務がプール指導の監視にもう出なくてよい。
授業や補填の話からプール監視まで
教務が如何に学校運営に関わっているか具体的なところを書いてみた。
それも教務の仕事のうちと言われれば、拒否はできない。
学籍やらPTA関係やらの抱えている仕事はわんさとあるから、
それをする時間はちゃんと確保してくれ、と心の中で叫ぶのみである。
叫びながらも懸命に務めているから「叫務」という漢字を当ててみた。
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